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京都地方裁判所 昭和42年(ワ)95号 判決 1973年3月30日

昭和四〇年(ワ)第一〇六号事件原告

昭和四二年(ワ)第九五号事件被告

(以下単に原告という)

小栗弥一郎

小栗恂

原告ら訴訟代理人

表権七

昭和四〇年(ワ)第一〇六号事件被告

昭和四二年(ワ)第九五号事件原告

(以下単に被告という)

石黒浅次郎

右訴訟代理人

青木英五郎

竹内勤

主文

(昭和四〇年(ワ)第一〇六号事件について)

被告は原告らに対しそれぞれ金九八万円とこれらに対する昭和三九年四月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

(昭和四二年(ワ)第九五号事件について)

原告らは被告に対し各金四万五、〇〇〇円あてとこれに対する昭和三九年六月一七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、四分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実《省略》

理由

一、本件事故の発生と、訴外亡小栗正三が本件事故によりその翌日死亡したことは、当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によると、被告は、本件事故により、右足関節裂創、右脛骨外顆骨折の傷害を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二、被告と小栗正三の過失の有無について判断する。

(一)  <証拠>を総合すると次のとことが認められ、<反証排斥>、ほかにこの認定に反する証拠はない。

(1)  本件事故現場附近の状況は別紙図面のとおりである。道路のセンターラインとして、中心に鋲がうたれている。

(2)  本件事故当時は、まだ点灯の必要がない明るさであつた。

(3)  被告は、加害車を運転して幅員約一〇メートルの一直線で見通しがよく、他に往来する車両のない西洞院通を南進し、西洞院通万寿寺上る永倉町五五〇番地先路上にさしかかつた。被告は、進路の右側にある幅員二メートルの小路(添付図面西側の小路)にはいるため、センターラインの1.5メートル左(東)側である同図面の①点附近を時速約二〇ないし三〇キロメートルで進行し、②点で右折しても大丈夫と思い、進路を右に変え、③点でセンターラインを越えて約一メートル斜め右に進行した地点で、後方から単車が接近してくるような大きな音が聞こえてきたのでブレーキをかけようとした直後、点で、折から時速六〇キロメートルないし七〇キロメートルの高速度(制限速度は四〇キロメートル)で加害車を追い越そうとしていた小栗正三運転の被害車左側に、加害車右側ペタル部分を接触させ、左足をついて④点で停車した。

(4)  小栗正三は、加害車の後から前記高速度で、被害車を運転して南進し、加害車を追い越そうとしたとき、たまたま加害車が前記のように突如右斜めに進行しはじめたため、これを避けようとしたが及ばず点で加害車と接触した。被告車はそこから南西の方向に暴走し、点にステップ痕、、、の各点に擦過痕を残して点にある電柱に衝突し、小栗正三は、点に投げ出されて転倒した。

(5)  加害車には、前と後に方向指示器が取りつけられていたが、被告は、右折に際し、全くその合図をしなかつた。その詳細は(二)に付言する。

(6)  加害車と被害車は、接触直前まで、いずれも前記各速度を維持していた。

(二)  被告が右折の合図をしたかどうかの認定については次のとおりである。

(1)  被告は、右折に際し、三〇メートル以上手前からその合図をした旨主張し、<証拠>中には、これに符合する部分がある。しかし、右各証拠を仔細に検討すると、被告は、本件事故後、その主張する自己の無過失を裏付けるために有利になるようその供述を変遷させている節が窺える、すなわち、被告は、捜査段階では、後方から接近する加害車の爆音に気づき危険を感じて停止しようとして、ブレーキをかけようとし、又はかけた瞬間に衝突したと述べ、京都簡易裁判所での刑事事件の公判廷では、停止した後に衝突したと述べ、それが、同公判廷でさらに、停止して後方を振り向いた際、相当遠方に加害車を認めたと供述を変えた。従つて、被告の供述には一貫性がないから、被告の供述だけで、被告が右折の合図をしたとするわけにはいかないし、他に右主張を裏付ける証拠は全く存在しない。

(2)  却つて、<証拠>によると、同訴外人は、本件事故当時、現場附近の東側にある自己の病院に行くため、別紙図面の点で運転中の自動車を停車させ、対向車をやり過してから右折しようとしていたもので、加害車と被害車が同訴外人の前を通過する直前、および、本件事故発生直後の状況を目撃していること、目撃地点と接触地点点との距離は、14.5メートルであること、同訴外人の目撃した限りでは、加害車は終始右折の合図をしていなかつたこと、以上のことが認められる。そして、右各証拠によると、同訴外人は、医師として運転経験もあり、本件当事者と何らの利害関係もないことが認められ、このことと同訴外人の目撃していた位置関係(被告がその右折点の三〇メートル手前から右折の合図をしていたとすれば、同訴外人の方に向いてくることになり、この右折の合図に気づかない筈はない)に鑑みると、同訴外人の右各供述は信憑力が高いものといえる。特に、同訴外人は、証人として、異様なブレーキ音で南方を見たとき、被害車の方向指示器は点滅していなかつたと証言しているが、この証言は、重視しなければならない。

(3)  もとつも、同証人の証言中には、被告が同図面の点の北25.95メートルを時速約三〇キロメートルで南進していたとき、小栗正三は、その後方19.25メートルを続行していた旨の供述部分がある。ところが、加害車と被害車の速度を前記認定のとおりであるとし、右供述による両車の車間距離を基礎に計算すると、被害車は、加害車が点に到達する以前に加害車を追い抜くことになつてしまい、両車の接触はあり得ないことになるが、約三〇メートル以上遠方を時速約六〇キロメートルの高速度で進行してくる車両の位置関係を正確に把握することは、至近距離で接近する車両の方向指示器の点滅の有無を確認することとは異なり極めて困難であるから、右供述部分をとらえて、松本敏の前記各供述の信憑力まで否定することは早計のそしりを免れない。

また、証人市川千明の証言中には、松本敏は、本件事故直後の実況見分の際、被告の前記刑事事件の捜査に当つた警察官である訴外市川千明に対し、加害車の右折の合図の有無についてはつきり見ていないと答えたと思う旨の供述があるが、松本敏はその面前を通過したあと衝突直前までの加害車の動静を見ていなかつたことは前述のとおりであるから、同訴外人がそのように述べたとしても必ずしも誤りとはいえないし、右供述は、それ自体明確さを欠くばかりか、本件事故後約三年を経過した後のものである(このことは当裁判所に顕著な事実である)。そうして、市川千明は、職務上、本件事故後、同種事件の捜査に多数関与してきたことは明らかであるから、記憶の混同もあり得るのである。従つて、市川千明のこの供述は、直ちに、松本証人の前記証言を否定する資料とはならない。

(4)  このようなわけで、当裁判所は、前記認定のとおり、被告は、右折に際し、全くその合図をしなかつたものと判断する。

(5)  なお、前記刑事事件では、この点が特に問題にならなかつた。すなわち、同事件の公訴事実は、被告が右折の合図をしたが、後方の確認を怠つたことが、被告の過失の内容とされていた。従つて、刑事事件の争点は、後方確認義務の有無である。

最高裁判所は、昭和四二年一〇月一三日被告に、原判決を破棄して無罪の判決を言い渡した(乙第一六号証)。しかし、この判決は、被告が右折の合図をしたうえで右折しはじめたことを前提として信頼の原則を適用し、被告に後方安全確認義務が存在しないとしたのである。そうすると、この前提がそのまま是認できない以上、刑事判決と別異の結論にならざるを得ない。

そうして、右折の合図をしないで右折しようとしたものに対し信頼の原則の働く余地はない。

(三)  前記争いのない事実や認定事実から、次のことが結論づけられる。

(1)  被害車は、加害車の二倍ないし三倍の速度(六〇ないし七〇キロメートル)で進行していたのであるから、加害車が被告のいうとおり時速二〇キロメートルで進行していたとすれば、別紙図面の②点から点まで五メートル進行するまでに、一五メートルないし17.5メートル進行することになる。そうすると、加害車が②点を進行しているとき、被害車は、その後方約一〇メートルを進行していたわけで、被告は、②点で後方の安全を十分確認すれば高速で爆音高く突進してくる被害車が発見でき、停車措置をとることにより事故の発生を回避することが十分可能であつたことが窺える。

特に被告は、道路の中央辺を進行し、そこから右折すべく右斜めに進行するのであるから、加害車の右後方の中心線附近を進行してくる被害車の進路を横切ることになるわけで、被告としては、進路変更に際し、あらかじめ、後方の安全を確認すべき義務があつたといわなければならない。しかし、被告が、この義務を尽したことが認められる的確な証拠はない<反証排斥>。

(2)  また、被告は、第一種原動機付自転車を運転して右折しようとしたのであるから、右折を始める地点の三〇メートル手前から右折の合図を始め(道路交通法五三条、同法施行令二一条)、あらかじめその前からできるかぎり道路の左端に寄り、交差点の側端に沿つて進行しなければならなかつたのに(本件当時の同法三四条三項)、被告は、この右折とは無関係に従前から道路の中央部分を進行中、全く合図をすることなく突然右折したのである(被告は右折に際し道路の左端に寄り交差点の側端に沿つて進行しなかつたことを自認している)。しかも、被告が右折しようとした小路は、幅員が二メートルの狭い道路で、遠方からその存在を確認することが困難であつた。すなち、加害車の後方を追従してくる車の運転者には、加害車が右折してこの小路に向うことを予測することは至難な状況にあつた。

加害車が道路中心部をそのまま直進し続けるものと判断した小栗正三は、加害車の右折を予見することができず、本件事故が惹起されたわけで、被告の右交通法規違反がなければ、事故の発生は当然回避できたはずである。

(3)  従つて、被告は、後方の安全確認を怠り、右交通法規に違反して右折した点に過失があるとしなければならない。

(4)  他方、小栗正三は、本件事故の時、制限速度四〇キロメトールを越える時速約六〇キロメートル(秒速16.67メートル)ないし七〇キロメートルの高速度で進行していたもので、小栗正三が、被害車を制限速度以下で運転していたら、本件事故の発生が回避できたか、接触していたにしても、小栗正三が死亡するという重大な結果の発生は回避できたことは明らかである。

従つて、小栗正三にも、本件事故の発生について、制限速度違反の過失があるといわなければならない。

(5)  そこで、当裁判所は、被告と小栗正三の過失割合を前者がほぼ六、後者がほぼ四と評価する。

(四)  そうすると、被告は原告らに対し、原告らの後記損害を賠償する責任があり、また、原告らが、小栗正三の両親であることは、当事者間に争いがないから、原告らは、それぞれ二分の一あて小栗正三の被告に対する後記損害賠償債務を遺産相続によつて承継したことに帰着する。

三、原告らの損害額について判断する。

(一)  葬儀費

原告らに各金八万六、六三二円

<証拠>によると、原告らは、小栗正三の葬儀費として金一七万三、二六四円の支出を余儀なくされたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

従つて、この二分の一に相当する金八万六、六三二円が原告らの各葬儀費の損害である。

(二)  逸失利益

原告らに各金一二九万八、六九〇円

(1)  <証拠>によると、小栗正三は、昭和一八年一一月一四日生れの健康な男子で、一九才で高等学校を卒業後、京都市内にある呉服卸売商訴外株式会社国藤に住込みで勤務し、本件事故当時二〇才で、平均一か月金一万四、〇六六円の収入を得ていたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

ところで、小栗正三は、住込みで勤務していたのであるから、実収入は、右金額より多いはずであり、さらに、これ以外に賞与を受領していたと考えられるが、これらを具体的に認定できる証拠がない。そこで、本件事故当時の年収の算定資料として統計資料によることにする。

成立に争いのない甲第二六号証の一ないし五(京都商工会議所調査部編「京都における最近の賃金指標」)によると、昭和四〇年五月末日現在、京都府下の高等学校卒業の男子労働者のうち、繊維卸売業に従事する二〇才の労働者の一か月平均収入は、金一万九、四三三円であること、京都府下の高等学校卒業の男子労働者のうち、勤務年数一年の労働者の昭和三九年度の賞与は、平均金六万二、八七一円であることが認められる。

そこで、小栗正三は、今後四三年間(六三才まで)稼働することが可能と考えられるから、その月収を金一万九、四三三円、賞与を金六万二、八七一円とし、生活費として年収の二分の一に相当する金額を控除し、さらに、年五分の割合による中間利息をライプニツツ式計算方法(係数17.5459)により控除して逸失利益を計算すると、金二五九万七、三八〇円になる。

(2)  従つて、原告らは、小栗正三の右逸失利益として各金一二九万八、六九〇円の請求権を遺産相続により承継取得したことになる。

(三)  慰藉料 原告らに各金二五万円

本件に顕われた諸般の事情に照らすと、小栗正三の死亡による原告らの精神的損害を慰藉すべき額は、原告らの請求どおり各金二五万円が相当である。

(四)  過失相殺

原告らの損害は、以上の合計である各金一六三万五、三二二円になるが、小栗正三の過失は、前記のとおりほぼ四〇パーセントであるから、これを過失相殺すると、原告らの損害額は、各金九八万円になる。

四、被告の損害額について判断する。

(一)  交通費、雑費 〇円

被告は、本件事故により、交通費金一万四、五〇〇円、雑費金一万二、〇〇〇円の各支出を余儀なくされた旨主張するが、これらが認められる的確な証拠はない。

(二)  治療費 金一万一、七二五円

<証拠>によると、被告は、その主張の受傷のため本件事故後一二日間四条外科病院に入院し、退院後約二か月間同病院と片岡医院に通院し、治療費として合計金一万一、七二五円を支出したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

従つて、これを被告の損害と認める。

(三)  休業損害 金一七万円

被告が本件事故当時悉皆業を営んでいたことは、当事者間に争いがないところ、<証拠>によると、被告は、本件事故当時、右営業により少なくとも一か月金一〇万円の収入を得ていたが、本件事故による前記受傷の結果、昭和三九年六月一六日までの五一日間、加療静養のため休業を余儀なくされたことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

従つて、被告の休業損害は、金一七万円になる。

(四)  慰藉料 金五万円

本件に顕われた諸般の事情を斟酌し、被告の精神的苦痛に対する慰藉料は、金五万円が相当である。

(五)  過失相殺

被告の損害額は、以上の合計である金二三万一、七二五円になるが、被告の過失は、前記のとおりほぼ六〇パーセントであるから、これを過失相殺すると、被告の損害額は、金九万円になる。

そうすると、原告らは、それぞれその二分の一である金四万五、〇〇〇円あて、小栗正三の債務を承継したことになる。

五、むすび

原告らは被告に対し、それぞれ、金九八万円とこれらに対する本件事故の日の翌日である昭和三九年四月二八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いが求められるから、原告らの請求をこの範囲で正当として認容し、原告らのその余の請求を棄却し、被告は原告らに対し、各金四万五、〇〇〇円あてとこれに対する本件事故発生の日以後である昭和三九年六月一七日から支払いずみまで同割合による遅延損害金の支払いが求められるから、被告の請求をこの範囲で正当として認容し、被告のその余の請求を棄却し、仮執行の宣言は、相当でないから付さないこととし、民訴法八九条、九二条、九三条に従い主文のとおり判決する。

(古崎慶長 富川秀秋 飯田敏彦)

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